召命

私の召命ものがたり #01

Sr. 西田靖子

中学時代に祖父を亡くした私は、「死」について考え始め、どこか不安な心があった。
その後、ミッションスクールで、永遠の生命の存在を耳にした時には、大きな希望が湧き、と同時に受洗、そして同時に自分の将来像として、修道女の道を描き始めていた。

受洗後は、キリストの「渇く」という受難のみことばが心に鳴り響き、ずっとそれを追い続けていた。
21歳の頃、当時本会が経営していた病院でボランティアした時、そこの隠れた場で、黙々と謙虚に労働に明け暮れるシスターに魅せられ、入会を決意した。

シスターになってからも、今に至るまで、私は「渇く」の意味を問い続けている。主の叫び「渇く」は、人々の渇きであり、自分自身の渇きでもある。ところが、その渇く人々(自閉症の子供、重すぎる十字架を背負っている人、心に病のある人 etc.) と渇く私との出会いは、主と共に生きることの喜びの泉に化していくのである。
そして、その泉から湧き出た水は渇くことなく、多くの人々に実りをもたらしているのである。

修道女として生きることには勇気がいる。が、その勇気は主からのもの。多くの若い方にも、この恵みの宝庫を体験して欲しいと思う。一人の真心からの歓喜は、人類への偉大な奉仕につながると思う。
若い方々、迷うことなく、主イエスに賭けてみませんか。